世良田忠順寄稿

平成16年 七月号
日本よ、毅然たる国家たれ
〜歴史の審判に恥じぬ外交を〜


 筋の通らぬ小泉外交
 先頃の小泉再訪朝については、六割以上もの日本国民が「前進」であると見なし、一定の「評価」を与えているという。「何はともあれ、被害者の家族が五人帰ってきた。これは総理が北を訪問したればこその成果だ」「北朝鮮というのは何をやってくるのか分らない怖しい国。そういう国に乗り込んで、停滞している日朝間に風穴をあけた勇気は誉められるべき」「家族会はもっと総理に感謝せよ。いっぺんに何もかもは無理なのに文句ばかり言っている。何をやっても批判ばかりでは、今後積極的に北朝鮮と交渉しようという政治家は現れなくなる」などといった言説が、それら「評価派」の主張のようだが、まさに笑止千万。この期に及んでも、まだそんな生ぬるい意識でどうするつもりだ。こうした惰弱な世論を、あの金正日は、さぞやほくそ笑んで眺めていることだろう。
 そもそも北朝鮮による日本人拉致問題というのは、被害者家族だけの問題ではない。普通に暮らしていた、何百人という日本国民が、日本国内に侵入してきた外国の特殊工作機関の手によって力づくで拉致されるという、日本の国家としての尊厳と主権を侵害する、極めて重大な事件なのである。「普通の国家」であれば、自国民が拉致されたというその事実のみで宣戦布告と見なし、即「交戦準備状態」に突入しても何の不思議もないのだ。
 ましてや、政府が外交努力によって、自国民の救出に力を尽くすのは極めて当然であり、救出に成功したならまだしも、あの程度のことで「感謝をせよ」などとは、どの面下げてそんな言葉が吐けるのか。家族会のような民間人が、必死に大声を出し続けてすら、なかなか重い腰を上げようともしないのが、この国の歴代政府の態度ではなかったか。今回の小泉訪朝にしても、そんな歴代政府と基本的に大差は無い。相も変わらず、日本国として毅然たる姿勢を何ら示すことなく、さながら韓国の「太陽政策」に追随するかの如き弱腰外交を繰り返してきたに過ぎぬ。
「いっぺんに全ては無理なんだ」などというのも妙な話だ。では、何百という拉致の疑いのある人々を全て奪還するまでに、果たしてどれだけ時間をかける気でいるのか。向こうが拉致をしたのが明らかである以上、こちらはそれを「返せ」と強く要求するのが筋である。しかも、一頃は「拉致問題無くして国交正常化なし」をお題目のように唱えていた筈の小泉が、訪朝後には「拉致問題は、国交正常化していく過程の中で解決する」なぞと、著しいトーンダウンを示している。これでは「小泉の本心では、もう拉致など二の次になっているのではないか?」と疑われても仕方が無い。
 そもそも小泉の言う、「国交正常化、核、拉致、全てを含めた上での包括的解決」などというのは、聞こえはいいが、現実には不可能だ。「いっぺんに全ては無理」とは、こちらにこそ言うべき言葉ではないか。
 物事には全て然るべき順序というものがある。いや、順序というより「筋道」という方が正しい。拉致と核については、日本の主権侵害と安全保障に関わる問題として、同列に論じるのもいい。だが、その二つと、国交樹立とは断じて同列に論じられる問題ではない筈だ。拉致と核の問題を解決した上で、はじめて次なるステップ、すなわち「国交正常化」へと進むのが、当然あるべき筋道ではないか。にも関わらず、なぜ初めから「国交正常化ありき」となっているのか。これでは、本来あるべき「筋道」を蔑ろにする、まさに後世に瑕瑾を残す売国外交であると言うほか無い。

 「暴発」カードに怯える愚
 また、未だに北朝鮮という国を「何をやってくるのか分らない国」「いきなりミサイル射って来て、拉致などというとんでもないことをやる国」などということを言う者がいるが、何をやってくるのか、どういう行動パターンをとる国であるのかは、これまでの経緯もあるのだから、今になっても「何をやってくるのか分らない」などと言っているのは、思考放棄か、怯えているかのいずれかに過ぎない。そして、そんな風に「恐ろしい国」といった先入観を抱いて徒に怯えること自体が、かの国の思うツボに陥っていることも、併せて認識すべきである。
 実際の北朝鮮とは、約束など決して守らず、核兵器や強大な軍事力を持っていることのメリットを強く認識しており(だから決して放棄などしない)、切羽つまると「そんなこと言うと“暴発”するぞ。こっちは怖いものなんか何も無いんだから、こちらを怒らせると、理性なんてすぐに吹っ飛んじゃうぞ」などと脅しをかけるのがお決まりの、程度の低いヤクザ国家に過ぎない。しかも、実際に「暴発」する気などさらさら無いのだ。なぜなら、一度「暴発」してしまったら最後、金政権などその後は存在し得ないことを、誰よりも知っているからである。いわば「暴発するぞ」と脅している間だけが、奴らにとっての唯一有効な「カード」たり得るのである。
 いい加減、このことをしっかり弁えないと、いつまで経っても連中の「脅迫」というカードは有効な儘であり、言い換えれば、それは今後もまた北の「脅威」に怯える日々が延々と続くということであり、ましてや、時間とカネまで与えることで、その脅威は更にいっそう増大していくという、最悪の結果を招くだけなのである。
 こういう相手の脅迫には、毅然として、ただこう言えばいい。「そんなに暴発したけりゃ勝手にしろ。こちらは然るべき報復処置を取るだけだ」と。
 現行の亡国憲法ですら、自衛権までは否定されていない。そして、自衛とは、反日サヨクがどう詭弁を垂れようと、相手側の攻撃が予測された時点で、即座に取れる手段を指す。
 現状ですら、日本は国民奪還のための戦争を起こしたって、何の不思議も無いのだ。それなのに、日本人はいつの間にか「自分たちには交戦権が無いから、戦争は出来ない」などと勝手に思い込み、自らの選択肢を狭める視野狭窄に陥っている。あまつさえ、軍事的解決どころか経済制裁すら、未だに封印している体たらくだ。これでは舐められない方がどうかしている。
 何も難しく考える必要は無い。要は、日本国民が、理不尽な脅迫に怯えることなく「いざとなったら戦うぞ」という、どこの国でもやっている程度の、ごく当り前の「覚悟」をするだけでいいのである。たったそれだけで、北朝鮮の脅しなどあっさり無効になるのだ。

 屁理屈でなく筋を通せ
 こんな簡単なことをやろうとせず、複雑怪奇な裏工作ばかりに血道を上げるのは、ひとえに臆病さゆえであり、国家として恥ずべきことである。だいたい、なぜいつも北との交渉となると、正規の国家ルートではなく、「エージェント」などと称する、胡散臭い闇の勢力の介在を許すのか?そんなルートを使わずとも、国家として当然やるべきことは何なのかを考え、きちんと筋を通し、後世に指弾されぬよう、歴史の審判に恥じぬ行動を取ればいいだけの話ではないか。なぜそれが出来ない?
 しかも、国難は何も北朝鮮だけではない。中共が、いよいよその領土的野心を剥き出しにし始めている。 五月末、ついに中共は、東シナ海から日本海にまたがる海底資源の盗掘を開始した。この儘では、我が国の貴重な埋蔵資源が、座して支那のものとなるのを手を拱いて眺めている他無くなってしまう。が、この非常事態にも尚、政府は何ら有効な対策を打ち出せず、未だに抗議すらしていない(六月十四日現在)。
 この種の対外的な事件や問題に対し、日本政府は「事を荒立てたくないから、ひとまず穏便に」という、甚だ曖昧かつ臆病な態度で、常に有耶無耶にしてきた。日本外交とは、極論すれば、全てこの伝といっても過言では無い。国益の為、国家百年の大計の為に眦を決して戦う、などという言葉は、日本外交の辞書には無いのである。代りにあるのは「とりあえず穏便に」という、卑怯な事無かれ主義だけだ。
 拉致問題も、領土や海底資源の問題も、全ての根は一つである。一言でいえば「きちんと筋を通せ」ということであり、そうするだけの「勇気」を持て、ということだ。その二つが、我が国には決定的に欠けている。果たして日本人が真に覚醒するのは、一体いつの日になるのだろうか。


【振り仮名】
徒:いたずら
一度:ひとたび
弁え:わきまえ
儘:まま
眦:まなじり





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