世良田忠順寄稿

平成16年 九月号
仏の顔も三度まで
〜反日国家との付き合い方〜

 シナ反日暴動の醜悪
 先月行われたサッカー・アジアカップにおける、シナ暴民の常軌を逸した反日騒動は、普段からあの国の傲慢無礼には慣れている筆者にですら、目を覆わしめる醜怪さであった。これは、シナという国にスポーツの国際大会を開催する能力や資格が欠如していることを、全世界に証明したといっていい。英国BBCなどの海外メディアは、四年後開催予定の北京オリンピックに対する危惧と懸念を、はっきり明言している。
 その一方、この国の政府とマスコミは、相も変わらずシナへの低姿勢な「遠慮」と「配慮」ばかりが目立ち、とてもではないが、日本国民の真実の声、本音である怒りの声を代弁しているとは言い難い。多くの日本人は、シナにも朝鮮にも、そして何より、その両者に卑屈なまでにへり下る自国の政府やマスコミの態度に、心底から嫌気が指しているというのに、今回も川口外相は「中国政府は一生懸命やった」などと、まるで相手を評価するようなコメントを発し、マスコミの論調も、ひどいのになると「シナがあのような態度を示すのも過去に日本がひどいことをしたのだから仕方がない」「首相が靖国参拝をやめないからシナが激昂するのも無理はない」だの、相手に佞った妄言をまき散らして、問題を有耶無耶にしようとしている。
 彼ら反日国家の度を越した愚かしい言い掛かりに、いつまで経っても日本人が耐え続けなければならないのも、政府やマスコミの、こうした卑屈な外交姿勢に大いに原因がある。

 竹島問題と冬ソナブーム
 昨今の「冬ソナ」ブーム、または「韓流」ブームとやらの狂騒ぶりも、そんな売国マスコミが意図的に造り出したものと言っても差し支えあるまい。何も韓国製ドラマやタレントで商売するのが悪いとは言わぬ。しかし、商売に血道を上げる一方で、日韓の間に厳然と存在し続けている深刻な問題について、全くと言っていいほど取り上げようとしないのは、明らかに歪である。勘ぐれば、竹島問題や漁業水域の問題を大々的に取り上げてしまうと、国民の間に嫌韓感情が強まり、折角放映権を取った韓国ドラマの視聴率が伸びなくなる。或いは、韓国の機嫌を損ねると、今後半島で目論んでいる種々の商売の障りになるので、この際それらには見て見ぬふりをしようということなのか。いずれにせよ、自らの利益の為なら、国民が当然熟知していなければならない事態をも故意に放送せず、親韓的なムード作りにばかり邁進している今の放送業界の状況は極めて異常であり、公正さを旨とするマスコミのモラルからも大きく逸脱している。
 ここで思い出されるのは、二年前のサッカーW杯におけるマスコミの姿勢である。あの時は、韓国チームの対戦相手になぜか退場者が出たり、韓国が有利になるような審判の誤審が多発したりと、「どう見ても韓国の勝ち方は怪しい」と思った人が、日本のみならず全世界でも相当な数に上った。にも関わらず日本のテレビ・メディアは、韓国の強さを空疎な褒め言葉で強調するだけで、種々の疑惑については、どこもまるで申し合わせたかのように、だんまりを決め込んだ。あの尋常ならざる空気のこわばりは、この国のマスコミが、常日頃は「言論の自由」などとご立派なことを言いながらも、実際は朝鮮人に首根っこを掴まれるとあっけなく言論封殺されてしまう、何よりの証拠であろう。これは「たかがスポーツ」「たかがサッカー」で済む話ではない。寧ろ「たかがスポーツ」ですら、韓国を批判する言論が一切シャットアウトされてしまうのであるから、より大きな政治的問題、国家間の大きな問題の時などは、いっそう思い遣られるというべきであろう。

 不作為の罪
 八月五日、政府は北朝鮮に一二・五万トンの食料と医薬品(五二億円相当額)を「人道支援」すると閣議決定した。前号で危惧した通り、拉致問題への誠意ある回答の無い儘、総理はこの決定を下してしまったのである。
 一体全体、この人には、そして、この人を取り巻く日本政府には、かけがえのない国土と国民とを、何が何でも守り抜こうという気概や誇りがあるのだろうか。
 しかも、政府はこの期に及んでも尚、拉致被害者や特定失踪者について専門的に調査する機関を設置せず、本来なら、政府こそ率先して為すべきことを、家族会や拉致議連といった、有志団体に丸投げして平気な顔をしている。ここまでやる気の無さを見せつけられると、もはや拉致問題などという面倒事には一切手をつけたくない、さっさと北朝鮮と国交を結んでしまいたい、というのが政府の本音ではないか、と思えて来る。
 もとより、不当に拉致された自国民を真剣に救出しようとせずして、国家を名乗る資格は無い。かかる不作為こそが、国家存立の基幹を揺るがす大罪であることに、いつになったら気付くのか。

 弱腰外交の罪
 シナや朝鮮の無礼千万な反日ぶりを報道する時、国内マスコミは、決まって「日本は無闇にいきり立つのではなく、冷静に対処することが大切だ」などとのたまう。しかし、現在の日本のように、何を言われてもただ穏やかに黙っているだけ、という態度は、単なる怯懦であって、「冷静」というのとは全く違う。強硬な態度が常に悪いとは限らない。真に冷静に思考するなら、相手に怒りの表情を見せるのも時には有効な外交手段であることくらい、子供でも分る理屈である。それが全く無いから、シナも朝鮮も「日本はどうせ何も出来まい」と高を括り、常にこちらを見下して、平気で横紙破りな行動に出て来るのである。
 外交とは、万事が駆け引きだ。押すべき時は押し、引くべき時は引く。然るに、日本外交はいつも弱腰ばかりでいるから相手に舐められ、完全に足元を見られ続けている。拉致問題然り、竹島、尖閣などの領土問題然り、海底資源発掘の問題然り、いずれもこうした弱腰が招いた失態ばかりである。

 反日国家との付き合い方
 そもそも、なぜ日本という国は、シナや朝鮮相手だと、政府もマスコミも、かくも卑屈な“配慮”に凝り固まるのか。シナは日本を「仮想敵国」と見なし、ミサイルの照準を我が国に合わせている国だ。朝鮮もまた、在日が「永住外国人」なる特権を享受するのみでは飽き足らず、今度は我が国の参政権まで獲得しようと画策するなど、不当な要求をエスカレートさせている。まさしく連中は、こちらが弱味を見せれば見せるほど食い付いて来る、ハイエナのように貪婪な手合いに他ならない。
 いい加減、そろそろ現実を直視しようではないか。こちらばかりが遠慮したり譲歩しなくては成立しない、お題目だけの友好など、もう願い下げだ。個人と個人ならともかく、国家間に友情など存在しない。お人よしの日本人は、相手国に善意(=謝罪)と誠意(=カネ)を施せば、必ずいつかは感謝してくれる日が来る、と思っているのかもしれないが、戦後六十年にも亘り、どんなに「謝罪」しようが、どれほど巨額の経済支援を施そうが、シナ人も朝鮮人も、感謝一つするでなく、逆に一層ツケ上がり、更なる謝罪と賠償(という名の強請り、集り)を要求する相手でしかなかったではないか。これ迄のように、連中に対し、甘い顔をするだけでは何ら日本の国益にはならないこの現実から、我々はきちんと学習すべきであり、併せて、連中との付き合い方を真剣に改めるべき時期に来ていることを、肝に銘じるべきなのである。


【振り仮名】
佞(おもね)
歪(いびつ)
徒(いたずら)
儘(まま)
只管(ひたすら)
高(たか)
括(くく)
亘(わた)
集(たか)





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