世良田忠順寄稿


七月号
 旧正田邸破却に垣間見る我が国の病巣


 皇后陛下のご実家、旧正田邸が、到頭取り壊されてしまった。昭和初期の面影を色濃く残す名建築として、そして、民間からの初めての皇后さまが誕生・成長された記念すべき家として、熱心な保存・移転運動が起こり、今年四月迄に、九万を超す署名が集まったにも関わらず、財務省は、あくまで初期の計画通り、お屋敷を解体し、更地にして売却するといった姿勢を、頑として変えなかった。相続税として物納された土地家屋は、速やかに売却し、その金を国庫に納める手続きを取らなければならない、と税法で規定されている以上、当然の処置をしたまで、ということらしい。
 確かに、厳正なる法の運用は、法治国家である以上、動かしようのない大原則である。如何に皇后陛下のご生家といえども特例は許されない、というのが財務省の見解だとすれば、一理あるのを認めるのに吝かでない。
 しかし、法律というものは、それが人の手によって作られた以上、欠陥もあれば不備もある。従って、ただ闇雲に、杓子定規に法に従い、まるで法そのものが全てに優先するかのような考えでいると、さながら「法の奴隷」と言っても過言ではない事態を惹起しかねまい。
 顕著な例が、北朝鮮から来る“貨客船”万景峰号、及び、その他数多くの貨物船の問題である。驚くべきことに、現行法では、これらの来港を拒否出来ない、という。万景峰号が貨客船を装った工作船であり、日本国内にいる工作員に指令を出したり、軍事兵器に転用可能な様々な物品を貨物に紛れ込ませ、年に十数回も本国へ運んでいたという色濃い疑惑までが、この期に及んで浮上しているというのに、である。この、我が国の安全保障上の明らかな重大問題にも、「決まりだから仕方がない」「法律だから認めるしかない」の一点ばりで許してしまえる神経というのは、既に「法の奴隷」的な心理状態にある、と言っても過言では無かろう。幾ら今後は現行法を最大限に活用し、不正が無いか否かを厳重に検査する事になった、などと言われても、これまで野放し同然にしてきたものを、これからはきちんと検査する、という話に過ぎず、素直に喜ぶ者は居るまい。かえって、かの国に対する、過去の不当なまでの“優遇”ぶりに、あらためて呆れ果てるのが関の山だ。幾ら「厳正な法の運用」などと建前を言ってみたところで、北朝鮮政府や総連からの圧力に及び腰になって、ちっとも「厳正」になど運用して来なかったのは、今や明白なのである。所詮、法律とは、圧力次第で運用の匙加減も変わるし、解釈次第で如何様にも融通が効いてしまうという、悪しき見本がここにある。石原慎太郎東京都知事が「(現行法で拒否出来ないというのであれば)超法規的措置をとってでも入港を阻止すべきだ」(『諸君』二月号)と述べているのは、この機微を雄弁に突いていよう。国家の安危が問われている事態に、港湾法など問題では無い。何が一番大切なのか、真にかけがえの無いものは一体何なのかを考えてみるがよい。ましてや、その真に大切なものを守らなくてはならない時、もし法律がそれを制約し、妨害するようであったなら、断固として、そんな法律は切って捨てるべきなのである。
 同様に、今回の旧正田邸に関する問題で焦点となるのは、歴史的、そして建築文化財としての建物の価値と、税法の中の、相続税・物納に関する規定との、どちらに重きを置くのか、という話になる。答えは容易だ。民間から初の皇后陛下を出したという、記念すべきお屋敷なのである。このような建物が、過去に物納された数多の物件と、同列に扱われてよい筈が無い。たかが税法、と申す気はさらさら無いが、この場合は前例に無い事として、財務省の一存で判断するのではなく、有識者の意見を訊き、充分に検討した後に、如何取り扱うべきかを決めるのが、然るべき手順であろう。
 ところが財務省は、そのような事は一切顧慮せず、何とか壊さずに済む道は無いかと苦慮した形跡も全く見られぬ儘、とにかく何が何でも壊すしかないのだと、異常なほど傲慢に主張し続けた。まさかとは思うが、財務省の役人には、正田邸を一時でも早くこの地上から消滅させたい、何か特別な理由でもあったのかと、勘ぐりたくなる程である。
 しかも、更に驚いた事には、取り壊した正田邸跡地は品川区に売却され、その後は公園になる事が、既に決まっていたという。そこまで話が進んでいたのなら、わざわざ壊す必要などどこにも無いではないか。旧正田邸をその儘残し、建物を記念館にでも転用して、建物ごと『正田邸記念公園』とでもすれば良いだけの話だろう。
 しかも、保存運動に、終始協力的な姿勢を示してきた西村眞悟議員は、国会で塩川財務大臣に対し、以下の如き提案までしている。「正田邸解体を今暫く猶予する事によって、国家に何か損失があるのか?猶予の間に、色々な利用方法が国民の中からアイディアとして出てくる。例えば、社団法人日本ナショナルトラスト協会は品川区長に手紙を送り、旧正田邸をナショナルトラスト方式によって保存活用を図りたい等、既にそういう声も出て来ている。国会で、この国有財産を皇室用国有財産に転換する決議をし、利用する事も可能だ。皇居の中には生物学研究所も蚕の研究所もあり、そこでは天皇陛下が研究もしておいでである。皇后陛下は、子供の童話の問題に取り組まれておられる。この建物を、例えば童話の世界的事務局にして活用する事もできる。色々な活用方法があるではないか」と。
 これまた面白いアイデアである。なぜ、塩川はじめ財務省は、これをも一顧だにせず握り潰したのか。これ程熱心な保存希望者がいる建物をわざわざ壊し、代わりに出来上がるのが、どこにでもあるような平凡な公園とは、実に呆れ返った話ではないか。しかも、そんな在り来たりの公園にしたって、税金をかけて整備し、維持する事に変わりは無いのだ。様々な可能性や、有意義な選択肢を捨て去り、かかる愚かしい結末を迎えた事を、財務省の役人らは、一体どう考えているのだろう。惧らく何も感じては居るまい。せいぜい、「面倒事にならずに終わって良かった」くらいのものであろう。
 私は、かくも創造性と精神性に欠け、融通の効かない、硬直し切った“お役所体質”に、いずれは国をも滅ぼしかねない危惧の念を覚える。なぜ、大東亜戦争が敗れたかまで敷衍して考えるに、種々の要因はあろうが、その一に、どうしても軍部という組織の官僚体質へと行き当たるからである。個々の部署には、極めて優秀な人材を有していたにも関わらず、組織全体として、それらを有機的に生かし切れぬ儘、ついには、あの重大な敗戦の日を招いてしまったわけだが、中でも、過去の大鑑巨砲主義の感覚から脱却出来ず、可惜、時代遅れの巨大戦艦を造るのに巨費を投じ、航空機、航空母艦、潜水艦、レーダー等、次世代の兵器導入に大幅に遅れてしまった事例は、その最たるものであろう。組織の一部では、明らかに次世代兵器の有用性が十分認識されていたにも関わらず、全体となると「巨大戦艦を造るのはだいぶ前から予算が組まれていたのだから、今更変更できない」との見解で押し通してしまうあたりは、まさに融通の効かない現代の役人や官僚の言動と、極めて相通じるものを感じる。巨大な組織の中にいると、組織を動かしている歯車の円滑な回転ばかりが最優先になって、それ以上に大切なものがある事を、いつしか忘れてしまうのだろう。私には、こうした“役所体質”が、敗戦後も一向に改善されぬ儘、ずっと温存されて今に至っているように思える。否、責任感や倫理感、愛国心等が衰えている分、戦前より更に悪化しているとも言えるだろう。
 もともと、官僚機構なるものは、高度にマニュアル化された日常業務遂行のシステムであり、何百、何千とある同じような事務案件を整然と処理していく分には、極めて能率が上がるように出来ている。しかし、予期せぬ問題が起きた時や、前例にない事態に対処しなければならない時、即ち、担当部署の各人が、その場で知恵を絞って対策を練らなければならない事態ともなると、途端に機能を停止して、鈍重になってしまう。結果、「時間がかかりそうだから、この案件は後日、議論した上で」といった先伸ばし、または「こんなもの、今まで扱った事ないな。どこか適当な部署に回せ」などと役所間の盥回しをし、ズルズルと時間ばかりを経過させて、結果的に何もしなかったりする。拉致問題に関する外務省の態度にも、こういった、悪い意味での「公務員的仕事ぶり」を感じるのは、筆者だけではあるまい。
 法律であれ、官僚機構であれ、本来は、国民生活をより利便ならしめる為の道具に過ぎない。原則は守るとしても、状況によっては柔軟に対応していかなければならないケースもあるのだ。それが、いつの間にやら、法の番人は単なる法の奴隷へ、官僚たちは官僚機構の歯車の一つに甘んじて、それをさも当然の態度としている。その方が面倒が無く、楽だからであろう。
 こうした、悪い意味でのお役所体質が改善されぬ限り、今後もまた、かけがえの無い何ものかが、むざむざと破壊されて行く無念な様を、心ある日本人は、味わい続けなければならないに違いない。






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