世良田忠順寄稿


六月号
 「拉致はテロだ!」〜第五回国民大集会に想う


 国民の覚醒

 去る五月七日、東京国際フォーラムで行われた「拉致はテロだ!北朝鮮に拉致された日本人・家族を救出するぞ!第五回国民大集会」に参加するべく、有楽町に向かった。現地に到着したのは、開演より一時間も前、午後五時三十分ちょうど。しかし、既に現場は大変な長蛇の列で、熱気で満ち溢れている。ある程度の混雑は予想していたものの、それをも遥かに上回る盛況ぶりに、あらためて、この問題に対する国民の関心の高さを再認識した。
 大手新聞社や放送局が、大金を投じて一大キャンペーンを張ったわけでもないのに、この驚くべき動員力は、多くの日本人が、北朝鮮に激しい怒りを抱き、被害者家族に対する人間としての当然の情を持っていること、そして、この問題にこれまで無関心できてしまった申し訳なさを抱いていることを、如実に示していよう。それは、ごく普通の日本人が、国家というもの、国防というものを痛切な思いで考え、いても立ってもいられないような危機感と焦燥感に駆られた上での、戦後初めての自発的行動であった、と言えるかもしれない。
 戦後、一貫して日本人の頭の中を支配し続け、今なお、朝日新聞や筑紫哲也といった左巻きの連中が、金科玉条のように崇め奉っている平和憲法だの人権思想だのといったものが、いざという危機においては何の効力も発揮し得ないことを、人々は漸くにして理解し始めた。朝日や筑紫らは、国家とは「民衆を抑圧するもの」「自由と権利を束縛するもの」として、解体すべきものであるかのように日本人をマインド・コントロールしてきたが、所詮、個人の尊厳だの人権だのと、幾らきれいごとを喚いたところで、強大な暴力の前では全く無力であり、寧ろ、個人の自由や権利がきちんと保証されるには、基盤となるべき国がきちんと国家のていを為していなければ、到底不可能であるという厳然たる公理を、この拉致事件によって、日本国民は思い知らされたのである。
 結局、五千人を収容するホールは全て満席、ついで、一千人が入れるビデオルームもまた満員ということで、私も含めた、地下廊下に並んでいた四、五千人余りが、二時間近くも並んだ末に、会場内部に入ることが叶わなかった。更に、会場の周囲や有楽町の駅でも、既に入場不能である旨をアナウンスしていたとのことなので、そこで来場を諦めて帰った人も相当数いた事を考え合わせれば、この日、この場に行こうと志した人は、少なく見積もっても二万人は下らなかったのではあるまいか。
 会場に入れなかったのは残念であったが、そもそもの主催者側の意図が「五千人規模の会場を満員にして、この熱気を金正日に見せつけましょう」との主旨であったことを思えば、こうして予定の四倍もの人数が集まったことは、実に喜ばしいことであり、それほどの大盛況に、ささやかながら貢献し得たと思えば、寧ろ満足でさえあっ
た。

 心ない人々

 とはいえ、入れなかったことに明らさまな不平をこぼす者が少なからず存在し、一時は、現場がかなり不穏な空気に包まれたのも、残念ながら事実である。
 私が行列に並んでから、小一時間が経過した頃からだろうか、すぐ後ろで、居丈高な怒鳴り声がした。見ると、年の頃は五十代半ばと思しい男性数人が、若い警備員に向かって「いつまで待たせるんだ。折角来てやってるのにふざけるな。主催者に会わせろ!」などと文句をつけている。思わず、耳目を疑った。確かに、予想していた以上の大人数が集まった場合について、主催者側に明確な事前の準備があった様子は感じられず、そうなってしまってから、慌ててどうするかを検討し始めた観もあり、それを指して不手際といえばいえなくもない。だが、これはプロが仕掛けたイベントではないし、段取りが少々悪くたって、ある意味当り前だ。しかも、つい数年前には、四十人集まれば「今日はよくお集まり頂きまして…」というほど、閑散とした催しであったそうだし(同行の知人談)、前回の二千人規模の集会にしても、矢張り満席にはならなかったと聞く。そんな逆風の中で、世の無関心や冷たい視線に晒されつつ、ずっと粘り強く戦ってきた主催者側が、いきなり五千を遥かに越す来場者を想定出来なかったからといって、どうして痛罵されなくてはならないのか?これまで、ずっと無関心で非協力的あった人間ならば、抗議するより先に、まず「ご苦労様です」と言うべきではないか。ましてや、拉致被害者の家族は、二十五年も待って、未だに家族を取り戻せないでいるのだ。一時間や二時間待つくらい何だ?よい年をして、そんな思い遣り一つ出来ず、こともあろうに「来てやったのに」とは、何という思い上がった言葉だろう。現代人の権利意識は、かくも醜く肥大化してしまったかと、暗澹とした気分になった。
 その後も抗議や怒号の声はひどくなる一方で、人いきれと異様な蒸し暑さも相俟って、辺りはどんどん異様な、殺伐とした空気になっていった。「将棋倒しが起きるぞ!この儘では危険だ!」などとパニックを煽るような怒声も聞こえてきたし、これに恐れをなして帰ってしまった人もいた。挙句には、警備員の拡声マイクまで奪い取り、アジ演説もどきを始めた愚者だの、きゃんきゃんと犬の吠えるような声で喚き散らす迷惑女だのまで現れた。後で聞いたところによれば、騒ぎの元兇は、男女混合の、一見していかにもプロ市民風といった風体をした、五十代の男女五、六人連れ、ということであったが、総連関係者か、或いは社民党の工作員か、いずれにしても、そんな下卑た手合いの扇動に乗っかって、恥ずかしい振るまいに及んだ日本人が存在したのは、何とも遺憾の極みであった。

 戦いはこれから

 それでも、帰宅後に、この集会にまつわるインターネットの掲示板などを読んでいると、まだ二十代と思われる若者たちの、「入れなくても自分は行く。入りきれないほど集まることに意味があるのだから」といった主旨の書き込みを多数見い出すことが出来、救われた思いになった。「折角来てやったのに」という傲慢な台詞を吐いた連との、何と明らかな対比。この若者の姿勢に、今や死語と化している「草莽の臣」なる言葉を思い出した。求めるものは己の名利に非ず、たとえ名も無き草として倒れようと、王事の為に尽せればそれで本望、とする精神である。決して少なくない数の若者が、かくの如き「無私の精神」を持ち合せていたことは、素直に嬉しかった。 
 ただ、その一方で、気になる書き込みも多く目にした。「こんなにも多くの人と気持を共有できて、とっても感動しました」「わざわざ新幹線で来てくれた人もいて、すごいと思いました」といった類のものである。この種のものには、些かの危惧を覚えずにはいられない。まあ、今日一日くらいは、感動の余韻にひたるのもいい。それもまた、若さの特権だし、純粋に、被害者家族の苦しみに共感し、遠方からでも駆け付けたい、という気持もまた、尊いとは思う。しかし、「多くの人と気持を共有」できる“快感”に酔いしれ、やがては、まるで自分が感動したいが為に、運動そのものを目的としてしまった悪しき先例は、過去に幾つもある。当り前の話だが、運動は目的ではなく手段だ。そもそも、こんな催しなど開かなくても済むような状態になることこそ、一日も早く招来しなくてはならない筈で、自分よりも不幸な人がいることで、癒されたり感動するなど、本来以ての他なのである。また、「遠方から来るな」と言うつもりは毛頭ないが、そんなに無理をしてどうするのか、との思いも正直ある。折角の純粋な思いに水をさすのは本意でないが、無粋を承知で言うなら、それだけの交通費を、救う会へのカンパとして振り込んだりする方が、より効果的に、この運動を力強く支えることに繋がる、とは考えられないだろうか?急激に熱したものは、また急激に醒めやすい、ともいう。そうはならぬ為にも、今後、求められるのは、純粋さだけではなく、各人が、より賢く、そして力強く戦略的に思考し、行動することではないだろうか。
 今回の大集会は、“イベント”としては成功した。しかし、これは断じて“イベント”と考えてはならない。「戦い」である。戦後憲法の呪縛のせいで、身動きの儘ならないわが国が、直接の軍事力によらずして、拉致された同胞を取り戻すための、必死の「情報戦」の一環なのだ。そうした激しい意識を、今後、国民が一致団結し、どれだけ持ち続けることが出来るかが、大きく問われて来るだろう。
 最後に蛇足ながら一言。TBSのニュースキャスター筑紫哲也は、これほどの大集会にも関わらず、一秒たりとも放送せず、完全に黙殺する挙に出た。この明らかに偏向した報道姿勢は、拉致被害者とその支援者たる日本国民に対する、重大な背信行為である。これだけの冷血行為を敢えてするからには、当然、それだけの覚悟は出来ているのだろう。売国奴への裁きの日は必ず来る。筑紫よ、首を洗って待て。






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