世良田忠順寄稿


五月号
 「“この戦争”の正体」などと言っている男の正体
 〜TBSキャスター、筑紫哲也とは何者か〜


 TBSのニュースキャスター、筑紫哲也が、「反戦」だの「人権」だのを表看板に、長年に亘って問題の多い反日偏向報道を垂れ流し、日本の尊厳や精神、ひいては歴史をひたすら貶める行為に邁進してきたA級戦犯的存在である事は、今更申すまでもあるまい。さりながら、私がとりわけ怒りを覚え、心底筑紫という男は何者か、との疑念を強める契機となったのは、『週刊金曜日』なる雑誌メディアが、曾我ひとみさんに仕掛けたテロ行為からであった。
 筑紫は、自らがキャスターをつとめる番組(TBS:ニュース23)においては、自分が『週刊金曜日』の創刊発起人であり、編集委員でもある事実などおくびにも出さなかったが、「世を挙げて反北朝鮮一色となっているこの空気のこわばりに対し、臆する事なく、異なった意見を言えるというのは、ジャーナリストとしての真の勇気」、「こうした意見すら自由に言えない、今のこの国の状態は北朝鮮と同じで異常」などと述べて、北朝鮮の思惑通りに曾我さんや拉致被害者家族の分断をはかったテロ行為を、あくまで正当化した。
 そもそも筑紫が、自らの意志によって、本当に正しいと信じる言説を吐いたのであれば、よしんば、その発言が非難の嵐に晒されようとも、真正面から受け止め、堂々と論駁すればよいだけの話である。それが、いざ批判の矢面に立たされるや、圧力だの空気のこわばりだのと、信じられないような泣き言を言い出してくるとは、呆れ果てた話である。「言論の自由」とは、発言も自由なら、それに対する批判も自由の筈ではないか。しかし、筑紫にとっての「言論の自由」とは、筑紫が他人を批判をするのは自由だが、他人が筑紫を批判するのは許さないという、随分と手前勝手な代物らしい。「北朝鮮と同じで異常」なのは、寧ろ筑紫の方だ。
 こうした妄言には、当然ながら相当な批判が浴びせられ、以降、筑紫は自分の番組で、拉致問題や北朝鮮関連のニュースを極端なほど少なくしていき、その代りとして「中国国交三十周年記念」、「中国経済の驚異的発展」といった“中共万歳特集”、或いは「スローライフのすすめ」(現代人は忙し過ぎる、もっとスローダウンして、のんびり自分を見つめ直してみよう、という主旨らしい。緊迫した北朝鮮情勢の最中に、拉致被害者の家族の心情を少しでも真剣に考えてみたなら、到底思いもつかないような馬鹿々々しい企画である)などで時間を埋め、可能な限り、北朝鮮問題を黙殺してやろうとの態度を露骨に示し始めた。
 その後、イラク戦争が勃発してからは、連日「“この戦争”の正体」などといったキャッチコピーを振り翳し、単純なアメリカ悪玉論を前面に押し出して大はしゃぎの態であったが、私は、この陳腐極まりないコピーをみる度に思ったものだ、「筑紫よ。そういうお前の“正体”こそ、一体何者なのだ?」と。
 元来、国家というものは、自国の権益の為、自国民の安全の為、それらを最優先に、時には謀略や策略をめぐらせ、冷徹な駆け引きや裏取引きの末、やむを得ない時には、武力を用いる事もある。きれい事ではないのだ。こんな自明かつ初歩的な認識さえ、筑紫には無いようである。国家も悪、謀略も悪、武力も駆け引きもみんな悪。そんな幼稚極まりない認識で、幾らアメリカを非難してみたところで、とてもではないが、見識あるジャーナリストの意見には聞こえない。よく言って、せいぜい「夢想家のたわ言」である。ついでに言えば、自国民を外国に拉致されているにも関わらず、四半世紀に亘って救出もできず、毅然とした報復行動すら取れない今の我が国は、まともな国家のレベルに達しているとは到底いい難い。だが、筑紫は、そんな惨状をも、平然と許容出来る、きわめて特異な、異常な精神構造の持ち主なのである。
 そんな“浮き世離れ”した筑紫とは、まさに対照的なのが石原慎太郎で、例えば彼は、国際関係をゲーム感覚からとらえる必要性を論じている。ゲームとはまた不謹慎な、と思われる人もあるだろうが、決してそうではない。相手の手の内を探り、次の一手を読み、虚勢と本音とを見極めつつ、手持ちのカードと相手のカードとの兼ね合いから、様々な駆け引きをした上で、最も自己の利益になりそうな手段を選択する。そうした、さながらゲームにも通ずる姿勢が、国際問題を考える際には必要なのだ、という事を述べているわけである。言い換えれば、相手国の演技かもしれない強面ぶりやクレームを、全て真に受けてジタバタしてしまうようでは、とてもではないが国家間の熾烈な外交ゲームに参加する資格は無い、という事だ。この種の、現実をきちんと踏まえた、具体的で有意義な提言は、決して筑紫の口からは出てこない。毎度毎度、抽象的で非現実的な理想論ばかりである。一体、そんなもので対処し切れるほど、国際関係は単純であると、彼は本気で思っているのであろうか?曲がりなりにも、長年に亘り、大手放送局でニュースキャスターを務めているほどのベテランジャーナリストが、まるで昨日今日、政治の世界に入ってきた青年のような、愚かしくも純なナイ−ヴさを露呈しているのである。これは、余程の馬鹿か鈍感か、さもなければ、ひょっとして、万事承知の上で、そういう「演技」をしているのではないだろうか?
 そういえば、筑紫は、アメリカを、やれ軍事大国だ、強者の論理をゴリ押ししている、密かに世界支配を目論んで悪辣だ、などと非難する癖に、奇妙な事に、中共や北朝鮮への批判は殆どしない。もしも筑紫が、本心から、その特徴である青臭い、しかし、それだけに純粋な「反戦平和主義」や「人権思想」の持ち主であるならば、当然、中共や北鮮に対しても、強い非難を行なって然るべきであろう。何せ、北朝鮮は言わずもがな、中共も相当“悪辣”である。チベットで「民族浄化」という名の大虐殺を行い、ウィグルにも徹底した武力弾圧で臨み、今なお領土膨張の野心を捨てず、台湾には政治・軍事両面から不断の圧力をかけ続け、核兵器を保有して周辺諸国に多大な軍事的脅威を与えていようとも、筑紫は文句一つ言わないどころか、逆にあちら側に立ったような報道を、嬉々として繰り返すだけである。無論、わが国で増加する一方の、支那人による不法入国や、激化する兇悪犯罪についても、殆ど言及したためしが無い。公平さが何より必要とされるジャーナリストが、こんなダブル・スタンダードを、平気で自分に許している事自体、奇怪千万である。これ一つをとってみても、筑紫の唱える「平和」だの「反権力」だの「人権」だのは、中共や北朝鮮の思惑や国益に則っただけの、まがい物であると言わざるを得まい。
 それでは、筑紫という男は、冗談抜きに中共(又は北朝鮮)の工作員なのだろうか。勿論、確証は無い。だが、少なくとも、そう仮定すれば、この男がこれ迄反戦平和主義者の仮面をかぶってやってきたヒステリックな言論活動も、全て辻褄があってくる。大手放送局のニュースキャスターという立場をフルに活用し、公共の電波によって、アメリカの「悪」、ひいてはそんなアメリカに追随するわが国もまた「悪」である旨を、徹底して視聴者に刷り込むと同時に、中共や北朝鮮の「悪」については、あくまで隠蔽した上で、逆にそれらの国のイメージアップに全力を尽くす。また、未来永劫、日本が中共や朝鮮に頭が上がらぬよう、戦争への贖罪意識を強く植え付け、愛国心を危険なものとして否定し、思考形態を、あくまで幼稚で情緒的な「反戦平和主義者」の域にとどめておく。更に、徒らに未来への不安を煽り立て、「日本は駄目だ」とひたすら繰り返す事で日本人の自信を喪失させ、ひいては、国に対しての反発心や社会への不平不満、個人のエゴばかりを増幅させる-----これらは全て、筑紫が実際にその“電波工作”によってやってきた事ばかりである。だが、一体何の為に?……分らない。仮にも日本人が、日本に対して、なぜわざわざこんな事を行なう必要があるのか、その意図たるや、私には全く理解出来ない。ただ、はっきりしているのは、この工作による毒素が、じわじわと、着実にわが国を蝕み続けている事だ。
 今の私には、イラク問題などよりも、この日本国内に棲息し、内側から崩壊の魔手を振るう筑紫の如き陰湿な勢力への対策の方が、遥かに重大で、喫緊の問題のように思える。しかも、そのような工作員的人間に、社会に多大な影響力を及ぼすマスコミ権力の一端を握らせているのは、あまりにも危険極まりない。
 かくなる上は、今迄以上に、筑紫ら反日分子の今後の暗躍ぶりを、しっかりと監視していく必要があろう。そして、いつの日か必ず、その正体を白日の下に曝き出し、祖国と民族を裏切った大罪を、きっちりと償わせるべきである。
 なお、思いの他イラクが早く敗北した事に、失望の色を隠せない筑紫だが、今度は「この国の病」などという、おどろおどろしげなキャッチコピーを掲げ始めた。当の病原菌が、宿主の病気を云々しようと言うのであるから、お笑い草である。真に日本を健康体に戻したいならば、まずは、白蟻のように大量にこの国に寄生している、筑紫らサヨク売国虫どもの全面駆除から始めるべきであろう。






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