世良田忠順寄稿


二月号
  歌舞伎座公演・三島由紀夫作『椿説弓張月』をみて 

 昨年暮れ、東京・歌舞伎座にて、歌舞伎『椿説弓張月』を観た。
 この演目は、曲亭馬琴の原作を、かの三島由紀夫が独自に翻案し、歌舞伎用に書き下ろしたものである。しかも、少年の頃より、大の歌舞伎好きであった三島が、その最晩年において、歌舞伎の黄金期とされる明治初年時の古典歌舞伎の復興を企図し、精魂込めて(惧らくは、自らにとって最後の歌舞伎台本となることまで覚悟して)、細かな演出まで自ら手がけるほどに入れ込んだ作品であった。
 とりわけ印象的であったのは、物語を彩った、様々な「死」の様態である。これほどにも変化に富んだ、多くの異なる死に方が登場する芝居を、私は寡聞にして知らない。ある意味、“死のコレクション”“死の展示会”といえなくもない、奇想天外な物語である。
 まず、第一幕『伊豆国大嶋の場』。冒頭、為朝(市川猿之助)がわが子為頼に言い聞かせる言葉、「源氏は破れて散り散りになってしまったが、そなたは幼いとはいい乍ら、その源氏の血を引く男子だ。武門に恥じぬ行いをし、源氏であることの誇りを片時も忘れてはならん(大意)」。「源氏」の部分を「日本」に置き換えるだけで、その儘現代の日本、及び日本人に、あてはまるような台詞。この厳しい諭しに、まだ前髪立ちのいたいけな童子の為頼は、健気にも、攻め寄せる敵軍に怯むことなく立ち向かい、奮戦のはてに重傷を負って、とうとう父の介錯に身を委ねる。口では厳しいことを言った為朝も、いざ目前にする幼い我が子の最期に、辛さに身もだえし、いよいよ首を打ち落とす際には、しばしの逡巡を見せる。それでも、やがて意を決し、刀を一閃、ごろりと転がる生首を、両手に掲げて号泣する為朝。魂の琴線をふるわすような場面だ。一方では、首を掲げるその姿に、『サロメ』の有名なシーンを思い浮かべたのは、私だけであろうか。
 他に、為朝の妻・簓江が、夫とその討手である父との板挟みの苦悩から、娘と共に崖から海に身を投げる最期も描かれる。
 ついで第二幕、『肥後国木原山中の場』。為朝を窮地に陥らせた裏切り者、武藤太(市川猿四郎)を捕えることに成功した為朝の正妻・白縫姫(坂東玉三郎)が、自らは壇上で琴を奏でつつ、その間、配下の腰元たちの手で、軒下に縛り上げた武藤太の体に竹釘を打ち込ませ、じわじわと責め殺すシーンが展開される。
 美しい女の奏でる琴の音色、はらはらと舞い落ちる雪。何とも風情あふれる情景。しかし、その一方に、次第に血みどろになり、髪振り乱し痙攣する男の逞しい裸体と、夢の中のようなゆっくりした動作で、悠然と拷問を加え続ける、花のようにあでやかな腰元たちの姿。やがて、琴の音色と、男のあげる叫び声とが交錯し、一体化し、ついには共鳴して響き亘って、この凄絶かつ凄艶なグランドオペラはクライマックスを迎える。この場面に、三島が鐘愛してやまなかった「聖セバスティアンの殉教」のイメージを重ね合わせる向きも多いであろう。優雅と残酷、静と動、美と醜、聖と俗----本来ならば、相反するこれらの要素を、不可思議な力で調和させ、見事な様式美へと構築しえたこの場面は、「残酷のエロティシズム」に執心した三島芸術の、まさに神髄であり、白眉といっても過言ではあるまい。
 続くは『薩南海上の場』。軍船を仕立て、いよいよ平家討伐に旅立った為朝であったが、不運にも嵐に遭い、船は沈没寸前となる。この時、妻の白縫姫は海神に祈り、自身を贄として捧げるべく、海中に身を投じて死ぬ。名高い日本武尊と弟橘媛のエピソードを彷佛させるシーンだ。そして、白縫姫の魂は、黒揚羽蝶に化身して「転生」し、海に投げ出されて巨大な怪魚に呑み込まれんとしていた我が子・舜天丸と、忠臣・八町礫紀平治太夫(中村歌六)を救う。
 一方、同様に海に投げ出された為朝股肱の臣・高間太郎原鑑(中村勘九郎)と妻・磯萩(中村福助)は、流れついた岩の上で一息つくが、この儘溺れて果てるは武士として恥辱と、高間はまず妻を刺し殺す。刺された磯萩は、口から夥しい血を噴き出しつつ、海老ぞりにのけぞった姿勢の儘倒れ、蒼白になった仰向けの顔を客席に向けて事切れる。だが、その有り様は、妖しいエロティシズムを漂わせている。更に、ここからが、高間太郎の最高の見せ場。髪振り乱して仁王立ち、両目をかっと見開いた、その姿勢の儘で腹を切る。切り裂いた腹からは、腸と思しきものや大量の“鮮血”が噴き出し、彼のすぐ背後からは、一際高く盛り上がった大波が迫る。世が世なら、浮世絵ともなって大人気を博したかと思われるような、絵になる眺めである。先程の、白縫姫による拷問シーン同様、三島美学が最も顕著に演出された名場面といえよう。
 続く第三幕、『琉球国北谷斎場の場』では、寧王女(市川春猿)が大臣・利勇に斬り殺され、その利勇は、為朝の射た矢によって絶命する。寧王女には、蝶となっていた白縫姫の魂がやどり、ここに白縫姫の「再生」が実現する。
 次の『北谷夫婦宿の場』は、王家乗っ取りを画策していた悪女・阿公(くまぎみ=勘九郎の二役)が改心し、わざと孫たちの手によって殺される道を選ぶ物語。なお、ここは他の『場』とはだいぶ様子が異なって、黒塚の鬼女譚を思わせる因縁話となっており、世話物めいた雰囲気も強い。一つの物語の中に、別種の物語を入れ子のように仕込んだ、三島の遊び心とでもいえようか。
 そして、いよいよ最後の『運天海浜宵宮の場』。琉球の内乱を鎮め、嫡子・舜天丸を王として即位させた為朝は、敬愛する崇徳上皇の命日の夜、浜で神事を執り行う。既に為朝は、第一幕冒頭において、崇徳院の御陵で切腹したいとの願望を語っており、第二幕『讃岐国白峯の場』では、実際に白峯の陵に赴き、今まさに自刃せんとしたところに院の御霊が現れて、命長らえ、天命を果たすようお告げを受けた為、やむなく自決を諦めた経緯があった。だが、漸く積年の望みが叶えられる時が来る。一心に祈念をこらす為朝の前に、波間より現れた馬は、崇徳院の遣わされた、迎えの神馬であった。ここに為朝は、晴れて宿願成就し、使いの神馬に跨って、宙を飛翔し去るというところで大団円、舞台は幕を閉じる。この飛翔が、為朝の死を意味しているのは申すまでもないが、もはや生々しい割腹の様子などは描かれず、「天馬による飛翔」という、美しく象徴化された死が暗示されるにとどまっている。この芝居に現れた数々の死の中でも、最も幸福で満ち足りた死といえよう。
 更に、この「為朝飛翔」の大団円を観ていて、卒然と思い浮かんだことがある。それは、三島の代表作で、最後の小説でもある『豊饒の海』の、三島が当初構想していたとされるラストシーンとの類似性だ。三島の死後公開された創作ノートによれば、当初の構想では、主人公・松枝清顕の転生者である美少年が、解脱した本多老人の目前で、天使のように宙に舞って飛び去っていく、というような結末が想定されていたらしい。しかし、衆知の通り『豊饒の海』は、そうした美しくも天上的な、幸福感溢れる最後を迎えることなく、逆に、深い沈黙、永遠の静寂を思わせる、虚無的な叙述で終っている。思うに三島は、その最後の小説『豊饒の海』で果たせなくなったラストシーンを、代りに最後の戯曲である『弓張月』で果たそうとしたのではないだろうか?
 また、この三島作の『弓張月』は、三島が理想とする死が如何なるものであるかを扱っている点において、かの『英靈の聲』や『奔馬』とも、非常に通ずるところがあるように思う。だいたい、馬琴の描いた為朝は、これ程まで「死」に憧れるような武将ではないし、つまるところ、この芝居の為朝は、三島が自身を仮託し、投影した分身のような存在であることは自明の理であろう。ならば、『奔馬』の主人公がそうであったように、惧らくは為朝が腹を切るその瞬間もまた、彼の目蓋の裏には、輝かしい日輪が上るに違いない。三島の描く為朝にとって、崇徳院は絶対者であり、日輪そのものである。その絶対的存在から、晴れて賜る至高の死。待ち望んだその瞬間に、為朝は天を駈け、ついには日輪と一体となるのである。だが、『英靈の聲』の英霊たちは、「賜死の恩寵」に浴すことも叶わず、地の底で、呪文のような怨念を呻き続ける。彼等は、永遠に自らの慕う日輪と一体となることは出来ない。その深い悲しみ、魂を切り裂くような慟哭。己の純な「恋闕の情」を、至高の主に理解された為朝と、されなかった英霊たち。喩えるならば、『弓張月』がポジで『英靈の聲』はネガであり、一見正反対でありつつも、その根は同じで、きわめて密接な関係にあるといえるだろう。
 以上、歌舞伎『椿説弓張月』について、専ら物語を彩った様々な死にテーマを絞って書き綴ってきたが、ひとえにそれは、作者・三島の「死」と「転生」、ひいては「再生」への強い憧れが、作品の基底に流れているのを無視できないと思ったからである。だが、もとよりこの芝居はそれのみではない。四時間を優に超す大作であり乍ら、観る者に時の経つのを忘れて夢中にさせ、酔い痴れさせる、その本質的な魅力については、私はまだ何も書いていないに等しいだろう。しかし、紙数の都合上、これについては稿を改め書くこととしよう。
 最後に、あらためて、不世出ともいえる三島由紀夫の天才性と、現代において、その三島歌舞伎を復活させ、新たな生命を吹き込んだ、演出/主演の市川猿之助とに、心からの尊敬と感謝の念を捧げて、拙稿の掉尾としたい。






もどる  次へ







100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!