私は前衛芸術やポップアートと呼ばれる代物が、なかなか理解できずにいる。 もっとも、「それならミケランジェロやレンブラントは理解できるのか?」と問われたら、彼らの作品を前にして理屈抜きの戦慄をおぼえた、という一身上の体験を披瀝することはできても、「理解」となると、それはそれで答えに窮してしまうわけだが、つらつらおもんばかるに、難解な御託をならべて自己の「芸術」に普遍性をあたえ、同じ時代を生きている鑑賞者にさえレジュメの通読を強いなければならない創作者たちの厚顔無恥な神経が理解できないのである。 荒川修作氏の名前は知っていた。正直なところ、あまり興味をそそられる名前ではなかった。 しかしながら、この養老天命反転地という、「わざわざレジュメを読ませなくても鑑賞者に体験させることができる作品」の存在を知って同氏に対する印象が反転した。私には、「風変わりな場所」を提供してくれる御仁を無条件で歓迎してしまう奇癖がある。氏は行動者であり、実践家である。すくなくとも取るに足らないガラクタを寄せ集め、独り善がりの説教を素人衆に垂れながら芸術家を僭称しているような輩ではない。 また、常識をぶち毀す…そんな「反社会的」なコンセプトに立脚した壮大なオブジェを、岐阜県という地方自治体を巻き込み、その公費で作ってしまった手腕についても、政治浪人のはしくれとして大いに脱帽したものである。 先日、三重県いなべ市へ出張し、たまたま現地で休暇ができたので、もっけの幸いとばかり、三岐鉄道北勢線、桑名経由で近鉄養老線と乗り継ぎ、片道二時間の物見遊山に出かけてみた。
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