東明塾の精神

 幕末、黒船来航という出来事により、幕府から政府という政治・行政機関に移り変わった時代のことです。当時は“教育を受ける”という考え方は無く、武家以外は藩校〈その藩で決められた学問所〉で学ぶことはできませんでした。有能な商人の子供や、その地域地域の名家の子供が寺子屋で学べたのです。では、その他の子供たちはどこを学び舎としていたのかというと、私塾で学んだのです。それも、教育を受ける、受けさせるというような人権だの、権利など無い時代です。学びたい気持ちを持った子供だけがそこに通っていたのです。

 その頃、幕府を倒した後の政治機関は海外〈主に西洋〉に使節団を送り、日本に無い軍隊、経済、法律など、様々な西洋文明を学び、日本に持ち帰ってきました。いわゆる近代文明の始まりです。

 倒幕から二十三年の歳月をかけ、明治帝国憲法を作った明治政府は、国民の教育水準を上げるために、身分に関係なく教育を受けることができる学校を作り、全国の青少年に教育を施しました。
 昔は手や腕に職があって名人はできても、読み書きができないということでは、これからは将来通用しないということでした。それに伴って藩校や寺小屋、私塾というものが廃止され、学校以外の教育は家庭教師を招くことができる一部のお金持ちしかできませんでした。
 明治帝国憲法を公布する明治政府首脳に、時の明治天皇は憲法や法律という規則は人の道を通じてこそ、はじめて正しく守られる、そのためには法の前に徳を学び、実践することが大事であるとお考えになり、『教育に関する勅語(教育勅語)』を作られたのです。
 それは学問以前に大事なものとして、国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示した徳目を、全国の子供たちが学んだのです。



 昭和二十年、大東亜戦争(日米戦争)に敗戦した日本に対して、GHQ(連合国軍最高司令官総本部)の日本制度改革(日本解体計画)の一つとして最初に行われたのが、教育勅語奉読の廃止でした。
 その後、戦後第一党になった日本社会党による片山哲内閣下での国会に於いて、教育勅語は排除・失効を決議され、やがて新法の教育基本法が制定されました。その基が「義務」で教育させる制度が施行され、現在に至っています。

 ところが、この制度には人間教育で一番大事な徳育・道徳教育というものを教えない仕組みになっていたのです。その結果、ここ何十年、頭でっかちばかりが世にはばかり、本当に人間的な常識をわきまえた者や、義理や人情ということがわからない者ばかりになってきたのです。その証が、日常の非常識な事件であり、陰惨な問題ということは、既におわかりいただいていると思います。
 しかし、あまりにも社会風潮が混沌とする今日に至り、敗戦六十年を前にして、ようやく国民全体に道徳教育というものが必要だという風が吹いてきたかのようです。

 他国の学校という呼び名のある所では、人間としての道徳というものを必ず教えています。それが学舎(まなびや)の基本になっているのです。ですから、塾のようなものは必要では無いのです。当然、教育のすべてを学校だけで学べるからです。これが本来の公教育機関の姿でしょう。

 わが国の教育制度には義務教育制度というものがありますから、義務教育という学問を公教育機関でキチッと学ぶことができれば、それはそれでいいでしょう。しかし、そこには徳育教育というものが存在しないのならば、せめて塾という場所を徳育教育を施す場所にしてはどうでしょうか。

 学校が教えないものを教えるのが塾であるべきです。本来、塾はそういうために存在すべきであり、今のような学問を教えるためだけの塾がどんどん出てきたのなら、学校を失くすか、塾を失くすかしないと、子供はかわいそうに両方から勉強、勉強と押しつけられて、どっちが本当の公教育機関の学舎なのか、わからなくなっているのではないでしょうか。

 世の中の教師も親も,社会も、学問を押しつけることが教育だと勘違いしています。こんな所から、道理をわきまえた人間らしい人物が世に出る訳がありません。

 子供の隠れた才能を導き出すことが出来る教育、これが本当の教育です。親でも気づかないものを教師(指導者)がその子に埋没している才能を引き出し、その能力を徳育をもって育てることが教育でなくてはなりません。そんな学舎が今の日本に必要なのです。



東明塾塾長 臼井康浩 記


電子メール tomeijuku@hotmail.com









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