世良田忠順寄稿
正月号

戦後民主主義の呪縛
〜生ぬるい似而非平和主義から脱却せよ〜

 金正日が、曲がりなりにも拉致を認めた日から、優に丸二年以上が経過した。にも関わらず、この問題が、洒落で無くいっこうに「埒」があかぬのは、首相ら政府が、口では「対話と圧力」を唱えながら、実際には何ら圧力をかけぬ儘、徒らに“対話”ばかりを重視してきた結果に他ならない。ここに来て「今こそ経済制裁を」との世論が俄然強まるのも、蓋し当然である。本来ならば、とうの昔に発動すべきものではあるが、それでもやらぬよりは遥かにましだ。速やかに実施されるよう要望する。
 ところで、各メディアにおける「経済制裁、是か非か」という議論が盛り上がっているのを見聞きする内に、些か妙な点に気が付いた。以下、それについて述べてみたい。

 まずは「経済制裁慎重派」の主張は、概ね以下の如しである。「制裁は、かえって北朝鮮を怒らせ、交渉のパイプを閉ざされてしまう可能性がある。そうなれば拉致問題の解決どころでは無くなるから、かえって逆効果だ。しかも彼らは怒ると何をするか分らない国。ミサイル発射など“暴発”の口実を与える恐れもあり、そうした危険な事態は何としても避けなければならない。よって、ここは冷静になって、粘り強く対話を続けていくべきだ」。
 これに対する「制裁積極派」の反論は、「北朝鮮は、甘い顔を見せるだけでは決して要求に応じる連中ではない。圧力をかけることで、初めて少しなりと態度を軟化させる習性がある相手だ。また、彼らにしたって、いきなり戦争やミサイルという手段に訴えるほど愚かでは無い。それをやったら最後、自身の破滅に繋がることを、金正日は誰よりもよく知っている。よって、日本は何ら怯える必要は無い。断固、経済制裁を行うべきだ」---- さて、前者が取るに足らぬ妄言であり、後者こそ真っ当かつ建設的な意見であることくらい、世論がどちらを支持しているかを見るまでもなく、常識であろう。私も「我が意を得たり」という気でいたわけであるが、しかし、よくよく考えてみると、前者の「北を怒らせるのは“危険だから”制裁反対」と言うのと、後者の「北の恫喝は脅しであって、実際は“危険ではないから”制裁賛成」と言うのは、内容は正反対でも、双方共に「危険を冒してでもやり遂げようとする覚悟」が無いという点においては、同類ではないか、という点に気が付いた。危険であろうが無かろうが、ここは毅然と、やるべきことをやる、と言うところだろう。更に言えば、「かの国は暴発しない」と決めつけるより、「暴発したければ勝手にするがいい」位の啖呵を切り、相手の出方がどうであれ、動揺しないだけの対抗策を着々と実行していくことの方が、遥かに有意義であろう。

 勿論、何事であれ、危険を犯さずに済むのであれば、それに越したことは無い。しかし、極限状態や非常事態に際しては、敢えて危険を承知で、断固行うべき時がある筈だ。
  拉致問題とは、まさにその非常事態に他ならない。国家が一丸となって、「どんなに危険であろうと、絶対に同胞を奪還するのだ」という強い意志を持たぬ限り、どれだけ時間をかけようが、どれほど議論しようが、意味は無きに等しい。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の格言もある。「危険」と名の付く事柄を、ひたすら回避し続ける腑抜けた精神では、拉致被害者の奪還など、至難の業であろう。
 そもそも、自国民が、外国の工作機関によって拉致され、監禁され、剰え、未だにその不当な監禁が続いているのである。「普通」の国なら、軍事力を使ってでも、とっくの昔にこれを奪還しているところだ。げんにレバノンは、戦争も辞さない強硬一筋の外交姿勢でそれを成し遂げた。ところが我が国では、そういった手段について、実行はおろか、議論の俎上にすら上らない。それどころか、多くの人が、そのことについて、何の疑問すら抱いていないのが現状だ。これでは、北朝鮮も安心だろう。
「仕方無いじゃないか。だって武力行使は憲法で禁じられているんだから、まずは憲法を変えない限りどうしようもない」と仰せの方もおられよう。だが、それは些か心得違いである。
 私とて、現行憲法が、廃棄するに相応しい亡国憲法であることに異論は無い。だが、ここで問題にしているのは、我々日本人の思考の有り様である。
 例えば、日本政府は戦後六十年、この亡国憲法を一度として改正することなく、「十八番」ともいえる柔軟この上無い憲法解釈によって、自衛隊という国軍の保有を合法化してみせた。最近では、特別立法までして、イラクに“日本軍”を派遣することにも成功した。決して褒められたやり方では無いにせよ、国民さえ「その気」になれば、ことほど左様に、裏技はあるものなのだ。
 然るに、同様の要領で「北朝鮮に拉致されている日本人の救出・奪還目的に限定した、自衛隊の朝鮮半島派遣を可能とする時限立法を成立させる」ような真似は、全く思いも寄らないらしい。
 こうした発想が、政府のみならず、民間からも全くと言っていいほど出て来ないのは、いや、それどころか、そもそも多くの人々の思考の中にすら、泡粒ほども生じている雰囲気さえ感じられないのは、ひとえに我々日本人が、無意識の裡にも「戦争なんて絶対に駄目だ」「どんな戦争であれ、絶対にやってはいけないのだ」と、頭から思い込んでしまっているからではないだろうか。「いや、俺は違う」と言い切れる人は大したものだが、未だにごく少数派であるのは間違いあるまい。
 まさにこの点にこそ、戦後民主主義の、そして、平和憲法の強い呪縛が作用しているのである。これは、現行憲法の改正や破棄だけで解決するものではない。その精神にまで染み込んでしまっている、似而非平和主義思想を如何にして払拭するかが、今後の日本人にとって、大きな課題となるであろう。
 拉致という大きな犠牲によって得た教訓を契機に、本年こそ、戦後民主主義によるマインドコントロールから、日本人が劇的に覚醒する年となるよう祈って已まない。





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