佐野自然塾だより
渥美基調講演

  日時:2004.12.23
  場所:田原市文化会館101号会議室
  題:「青少年に笑顔と目の輝きと、自らに誇りと自信の回復を」
  講師:佐野自然塾塾長 佐野典昭

 (口述)

 皆さん今日は。静岡からやって参りました、佐野と申します。佐野自然塾というのはフリースクールですね。不登校あるいは、引きこもりの電話相談とかEメールでのやりとりで、相談相手になってやる仕事です。それと同時に、中島国際寮と言いまして、アジアからの就学生のための寮を管理、運営をNGO活動の一環としてやっております。
 私は人前で長いことベラベラしゃべるのは性に合いませんし、できませんので、忌憚のない処をかいつまんで、お話させて頂きます。

 あっ そうでした、その前に一言。
 今度、維新政党新風、愛知県の本部長に就任された柘植さん!オメデトウゴザイマス。これからの日本及び日本人のために乾坤一擲、奮闘努力されんことを祈っています。静岡という処は土地柄でしょうか…政治運動には、今1つ盛り上がりに欠けるところでして、自分から率先してこの指、止まれと、こういう人間がいません。まァ、それは誰かがやるだろうと。ネッ。こういった感じです。応援団にはなるけれど、自分がアタマになって汗をかくことはしない。まァ、そういう私もそうなんですが…。いや、なってもいいんですが…。ただ、これを組織として考えた時、それじゃァ、本当は具合が悪いんです。ここは一つ、30代40代のバリバリのイケイケドンドンっていう若い人が表に立って、会を引っ張っていかなきゃいけないと。こう思ってます。
 我々はあくまでも、うしろで聞き役として脇を固める。こういうスタイルを構築して、戦略的に組立てて行かなければいけない、というのが、ウチの、静岡の統一見解だと。こういうことです。こういう体制ができると、非常に足腰が強い組織が形成されていきます。裾野も若い人を中心とした拡がりがあって且つ、活気のある政治団体として、対外的に認知されていく、というのが自然だと思います。それには、やはり若い人が自主的に参加したいと思う気持ち。これが大事なんです。じゃあ、そういった政治団体に持っていくにはどうするのか。やっぱりそれにはやはり教育です。教育の力。これだと思います。

 来年は戦後60年目の節目の年に当たりますが、振り返って、戦後の学校教育において、例えば、海外においては自分の国の国旗や国歌に対して礼儀を守る、わきまえる。こういった基本的な教育が根底にあります。これがわが国日本においては一切されてこなかった。云わば排除されてきた訳です。

 私が今、関わっているNGO団体。海外支援協会と云いますが。これは主にアジアの発展途上国をフィールドとしたさまざまな支援活動を行っています。
 実は今年の夏8月に、東京の日大生ら20名と一緒にフィリピンスタディーツアーを企画して行ってきました。日本の小学生が描いた絵とか習字などを持って、彼らがその橋渡し役として、現地の子ども達との交流を深めてきた訳ですが、現地では子ども達のサイン攻めに戸惑いながらも、差し出されたノートに、自分の名前を漢字で一生懸命書いているサマは、ちょっとしたスター並みの扱いでした。それはそれで彼らにとって、いい思い出になったんではないかと思ってます。現地の子ども達にとって、日本の漢字がとても珍しくて、人気があったということです。ただその時、その小学生達が歓迎の意味で、いの一番で歌ってくれた曲が彼らの国の国歌だったんです。楽器演奏にしても、まず自分達の国の国歌を演奏する。そして、我々を歓迎してくれた。つまり、これこそが、世界中の学校教育の基本であり、常識なんです。東南アジアどこの国を訪れても、まず国歌斉唱をやるというのが、普通なんです。日本の今の学校教育は、この当たり前で最も基本的なことさえ、子ども達に教えない。日本及び日本人として、誇りのある教育をしようとしない。これで、真の国際人だの、国際交流を図りましょう、と言ってもできるわけがない。日本人として自覚のある教育をうっちゃらかしといて、一方で国際感覚とか、国際人とは、と言ってみたところで、子ども達は混乱するばかりで、どういう振舞いをしていいかわからないんです。先程の小学生達が一生懸命、国歌を歌っている時、日本から来た大学生達はと云うと、どういう態度をとっていいのか判らず、お互い顔を見合わせ、キョロキョロとしているだけですよ。起立して一応、気をつけの姿勢をとるとか、こういった基本的な所作態度さえ、彼らにとっては思いもよらぬことなんですね。そういった教育を受けてこなかったから。体で覚えてないから。人は人、我は我なんですね。現地での市長はじめお歴々がピシャッとしているそういう式典で、皆さんがきちんと起立してちゃんとしているのに、1人も立つヤツがいない。座ったまま、ポケットに手を突っ込んでいるヤツ、とか腕なんか組んじゃって、脚を投げ出しているヤツとかね。これには、さすがの私も、あいた口がふさがらなかった。しかしよく考えてみれば、それもこれも、彼ら大学生に責任がある訳じゃないんですね。彼らを責めるわけにはいかない。そういった教育をさせないで、それで良しとしてきた我々大人に責任があるんです。見過ごしてきたんです。教育を学校にマル投げにしてきたツケが回ってきた、と。こういうことです。

 今回のこのスタディーツアーでしみじみ感じたんですが、今の学校教育はモラルの原点となるものが、薄らぼんやりとしていて、実に情けない。だいたい今の政府自体が、戦没者の骨の上にあぐらをかきながら、スイマセン外交をやってんですから、いまだに。日本は侵略国家でしただの、スミマセンでしただの、と戦没者をまるで犯罪者であるかのような扱いで、それで良しとしているなんぞは、もうイイ加減にしろよ、と云いたい。
 マレーシアのマハティールさん・インドネシアのスカルノ大統領だって、もういいじゃないか、と言ってんです。そんなことより、これからどうやって共同歩調をとっていくんだと。そう云ってるんです。日本はアジアの兄キ分として、どうやって我々を引っ張っていってくれるんだ、とそっちの方が余程大事なんだよ、と云ってんです。まあ強いて、ですよ、日本にとって悪い事があったとするならば、それはたった1つ。戦争に負けたことです。アメ公に負けたことだ、と云ってんです。だから、こういった事なかれ主義の今までの日本のスミマセン内閣は、もう要らない!謝ってばかりでは、事態は進展しないだけでなく、ただ悪戯に卑屈な心情を日本の若い人に植え付けるだけで、益々萎縮してしまう。そうじゃなくて、ハンデキャップなしで、対等な立場で、お互いにスタートさせてやる。そういった教育が今、必要なんです。それが本当の意味での国際人になるための条件だと、私は思ってます。まず日本人として自信と誇りを持つこと。マレーシア・タイ・フィリピン。どこの途上国へ行っても、実に戦没者を大事に祀っています。そして、国歌、国旗に対する教育がきちっとなされています。それはどういうことかと云いますと、つまり、愛国心の発露。これがどこの国でもその教育の根底に根強くあるんです。今回の大学生のスタディーツアーで、こういった事を強く感じた訳です。

 社会問題として、今の教育のモラルの低下がどうのこうのと云うんであるならば、私は言葉で道徳教育を教える一方で、またそれと併行して彼らをこういった途上国に派遣すべきです。知識としてだけでなく、身体も使う。そこで数ヶ月間の体験学習をさせることが、余程身についた青少年教育になると思っています。だから今こそ道徳教育の復活は急務であると。それと同時に体を使った学校教練も行なう。教練ということばに違和感を持つならば、身体教育とか、鍛錬実習とか、何でもいいんです。とにかく、道徳教育と学校教練を復活させることによって、こういった問題は一挙に解決すると私は思っています。ですからぜひとも、皆さんのチカラで、各都道府県の教育委員会等々に働きをかけ、これを全国的な運動として展開していくといった事を私は真剣に考えております。ぜひ愛知県でも、また維新政党新風としても、このことを真摯に受け止めて頂いて、これからの青少年育成の根本は道徳教育及び学校教練にあり、といった気概を示して頂きたいなということで、時間とさせて頂きます。
 どうもありがとうございました。






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